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日本人はいつ何処からやって来たのか?どうやって知ったの?(09/12/15)
前回、「日本人はいつ何処からやって来たのか?(09/12/06)」を載せましたが、
それは、どうやって調べたの?という疑問がわいてきました。
それで、もうすこし、突っ込んで調べてみることにしました。
それは、過去の気候を読む。気候を読むには、幾つかの方法がある..らしいです。
そのひとつがグリーンランドである。
グリーンランドは、氷期になっても、間氷期になっても常に寒いわけです。
毎年、雪が降り積もって次々に固まり、厚い氷の堆積層を作っています。
そこをボーリングし、氷の柱を掘り出し、何十万年以上も前から積み重なった氷の年輪が手に入るわけです。
グリーンランドの氷は、主に北大西洋の海水が温められて蒸発し雲になり、その雲が降らした雪が固まったものです。
地球の表層の7割ぐらいは海ですから、海水面から水が蒸発して雨雲になり、それが極地方に移動していき、雨や雪になる。
氷期には、高緯度地方に降った雪は万年氷となって融けないため、海の水が少なくなってくる。
水も海水も氷も雲も、元素が結合した化合物です。
ただ同じ酸素でも、同位体といって、科学的性質は同じでも重さが違います。
酸素には原子量16、17、18の三種類の重さを持つ酸素があります。
当然、水にも三種類の水があるということになります。
科学的な性質の違いはないので、飲んで味が違うことはありません。
酸素16の水のほうが軽いので、酸素18の水よりも蒸発しやすい。
そうすると、酸素16の水が雪になって高緯度地方に蓄積されていくと、海水には酸素18の水が多くなってくる。
ですからグリーンランドの氷の中の酸素同位体の割合を調べれば、その時期の地球の気温の検討がつくわけです。
一方、海水の中の酸素18を調べる方法もある..らしいです。
海水の中で生活している生物で有孔虫という硬い殻をもった小さな生物がいます。
この殻は炭酸カルシウムで出来ています。
この炭酸カルシウムは、海水中の酸素を利用して作られます。
つまり、有孔虫の殻の酸素同位体、酸素18の割合を調べれば、そのころの地球の気温がわかります。
有孔虫は、海底の泥を長いドリルでボーリングしてサンプルを取ります。
その泥に含まれている有孔虫の殻の酸素同位体を調べるわけです。
有孔虫にはいろいろな種類があり、寒いところや暖かいところに好んで棲む種類もおります。
どんな種類の有孔虫が多いのかを調べたりします。
グリーンランドの氷コアの分析から驚くべきことが判ってきました。
だいたい、1000年から3000年の周期で、氷河の量が変わり、気温が激しく上下していることがわかったのです。
しかも、氷が融けて暖かくなる期間は、非常に短く50年ほどでどっと融けていく。
一方、氷河が成長している時期がわかってきました。
氷河が拡大していく時期には、氷河が海岸線にまで達します。
そして、後ろからどんどん押されるので、氷山になっていく。
氷河が移動する課程で氷が地表面を削っていきますから、海岸線の近くの堆積物を調べると、削りカスが層になって出てきます。
氷山が海水面を覆ってしまうので、プランクトンが生育できなくなります。
そうなると、海底堆積物の中に、生物の痕跡が非常に少ない層が出てきます。
こうしたことから、最終氷期の地球の気候は、寒冷期→急激な温暖化→漸進的な寒冷化を3000年くらいの周期で。
繰り返していることが判りました。
こういう気候の変動の中で、人類はどのように生活してきたのでしょうか。
最終氷期のさなか、今から三万年前〜六万年前に日本に人間がやって来たとみられていますが、
この時期は氷河が発達した時期ですから海水面が低かった。
四万年前〜五万年前には、インドシナ半島からスマトラ、ジャワ、ボルネオにかけての一帯が陸地化し、そこをスンダランドといいますが、
非常に暖かく住みやすいところでしたが、多分、人口が増えたことと食べるものがなくなったことによって島伝いに北上を始めたと考えられます。
海流も海岸から離れた沖のほうを流れるようになり、船での移動が楽になったのでしょう。
日本人の遠い先祖は、今から二十万年前にアフリカを出て、多分、東南アジア、ジャワを経て、海岸線を辿るようにして日本列島にやって来た可能性があります。
前回の「日本人はいつ何処からやって来たのか?(09/12/06)」は過去録に納めてありますので、必要であればご覧ください。
日本人のルーツ&ルート図、日本人のルーツ&縄文人と弥生人の比較表が載せられております。
【参考文献】
日本人のルーツがわかる本 石井慎二 洋泉社 発行
(09/12/15 τμ記)